独特なカルチャーシーンが根付く、文化薫る街・阿佐ヶ谷
東京の西側ではもっとも早くから市街地化が進行していた中央線沿線。他の路線では戦後から開発が盛んになっていたが、杉並区内の中央線沿線では戦前にはすでに現在の街並みの大枠は出来上がっており、当時は郊外型の新興住宅街として人気を集めていた。
戦後このエリアには都心でも郊外でもない、都市機能が充実する独特な街並みが形成され、さらには「中央線カルチャー」と呼ばれる独自のカルチャーシーンを構築した。
中央線沿線の一角にある阿佐ヶ谷も同じく、戦前から戦後にかけては多くの文豪が棲家とした郊外住宅地として、戦後から現在にかけては小説家・ミュージシャン・漫画家・編集者などカルチャーシーンをリードする人々が好んで住む街として発展を遂げており、さらには彼らが育んだ独特な文化も根付いている。

関東大震災前後から住宅地としての発展を始めた阿佐ヶ谷は、高級官僚やサラリーマン・職業軍人などが多く住む高級住宅地として人気を集めたとされる。東京都心に近接した環境にも関わらず武蔵野の豊かな自然が残されていた良好な住環境が人気の理由だったようだ。
そんな阿佐ヶ谷には当時一線で活躍していた文豪も数多く移り住み、この地には彼らのサロン的な組織である「阿佐ヶ谷文士村」が形成された。
その中心人物とされている井伏鱒二は1927(昭和2)年に隣街の荻窪に居を構え、1993年に亡くなるまでこの地に住み続けた。代表作のひとつである「荻窪風土記」には阿佐ヶ谷や文士村についての記述も多く、当時が偲ばれる。
阿佐ヶ谷文士村にはこの地に住んでいた三好達治や伊藤整・太宰治など日本を代表する作家・文学者が参加し、みなで語らいあいながら将棋や酒を楽しんだようだ。
特に井伏鱒二に師事した太宰治は、1933年から1938年までの間井伏邸近くに住んでいた。転居当時は25歳であり、まだ文豪・太宰治の面影はなかったが、1935年に『逆行』で第1回芥川賞候補になるなど、杉並は太宰の飛躍の地となったようだ。阿佐ヶ谷文士村に参加した太宰の作品には代表作『斜陽』などで阿佐ヶ谷の街がしばしば登場する。

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現在では彼らの歴史を偲ぶようなスポットは残されていないが、この街には今も新刊書店や古書店が多く、また谷川俊太郎氏やねじめ正一氏などが現在もお住まいになっているなど、文学の街という側面を残している。
特に古書店の充実ぶりは中央線沿線でも有数のものであり、「風船舎」や「穂高書房」など多くのファンを抱える個性的なお店も数多い。
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